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2013年11月6日水曜日

サントリーニ島で。。。


 ミコノス島から高速船でサントリーニ島に向かうのだが、ミコノス島の船着き場は、人でごったがえいしていた。やたらと中国人が多い。自分の周りには大量の中国人が雑然と立っている。


 この人達もサントリーニに行くんだなと思いながら見ていると、10年前は相当かわいかったと思われる女性が旗を持ってやって来て何やらみんなに告げると、一行はビシッと整列して、きれいな列を作ってしまった。この女性は中国人美人ツアーガイドだった。


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 ちまたではマナー等イロイロ言われる中国人だが、我々が見た感じは、そんなに酷いと思うようなことはあまり無い。やはり美人には弱いという事がわかった。

 港ははごった返していたが、船は思いのほか空いており、2時間半程でサントリーニ島に到着した。眠っていた自分は目を開けて、窓の外をみると、山のような島の上に白いものがかぶっている様に見えた。妻に、「雪が積もっているよ」と言うと、「えっ本当?」と言って妻は飛び起きた

 妻を起こすのはこの作戦が一番よい。

 サントリーニ島は、火山の島らしく、カルデラになっている。一番大きな島は三日月のような形で、その円弧の延長線上にいくつかの島が配置されており、その中央に島が一つある。

 阿蘇のカルデラと似ているなと思った。阿蘇はカルデラの中には田んぼがあり、が暮らし、まだ活動中の中岳がある。


 一方サントリーニではカルデラの中に海水があり、大きなクルーズ船が停泊し、が暮らしている。カルデラの中に山(島)がある所も似ている。
滞在中昼間は常に数隻の大型クルーズ船が泊まっていた

帆船も夕暮れ時にクルーズしていた。
サントリーニはカルデラの高い所の崖っぷちに人が住んでいる。というか正確に言うと崖っぷちにホテルが立ち並び、宿泊客が絶景を楽しめるようになっている。
崖の上に立つ建物
おそらくは、昔はこの崖に人々が暮らしていたのだろうが、観光地政策かなんかで、ホテルになってしまったんだろう。建物の壁はすべてく、ドアや窓はく塗られて統一され、すごくきれいだ。船の上から雪の様に見えたのはこの建物だ。


サントリーニの観光の拠点はフィライアという街で、多くのホテルがある。フィラは島の中央に位置しており、バスの拠点になっている。

我々は利便性を考慮して、フィラのバス停の近くに宿を取った。確か1泊28ユーロだったかなと思う。場所は、崖っぷちではなく、少し島の内側に入った所だったので、絶景は拝めなかったが、便利であった。

 到着後、ご飯を食べに行ったが、どうしてもお米が食べたいので、島唯一の中華屋さん、中華大飯店に行った。
サントリーニ島にはふさわしくないデザインの中華料理屋。ビールはサントリーではなく、アムステルだ。
 大飯店と大きな名前だが、たいした店ではない。そこでチャーハンと、椎茸とタケノコの炒め物のような物を注文した。

焼き飯はご飯が柔らかすぎたが、まあ、ちゃんと調理された食事にありついた。

スープヌードル。おいかった

 少しにぎやかになり、ふと見上げると、朝ミコノス島にいた中国美人ガイドがいて、お客さんに店を紹介しているようだった。
マーボ豆腐
フィラの街を見て歩くが、建物はすべて白く、ドアと、窓はブルーで統一されており、ミコノスと同じであるが、ミコノス様式のようにすべて、角が円くなっている訳ではなく、建築様式は異なっているようであった。

 よく見る、サントリーニ島の、ブルー屋根の教会は見当たらなかったが、これはイアの街の方だそうだ。

 夜は、フィラの崖の下にあるポートの真上にあるレストランにて食事をとった。グリークサラダに、ラムのグリルが夕食だ。

 ラムのグリルは、ただ焼いたラムに塩を振ってあるだけだが、そこそこ美味しかった。
ラムのグリル。お味はまあ普通かな?
グリークサラダは、ギリシャに来てから毎日のように食べている。美味しさの法則を無視したギリシャの料理のなかでの唯一のお気に入りである。
グリークサラダ
グリークサラダは、大きめに切った、トマトや、キュウリ、赤タマネギ、ピーマン、オリーブの塩漬けの上に、フェタチーズがのせてあり、乾燥ハーブが振られている一品である。このままでは味がなくおいしくない。これにテーブルの上にある、酢とオリーブオイル、胡椒、塩等を掛けて、自分で味を調節してたべるのである。
 
 自分の場合は、フェタチーズを潰して、野菜に混ぜ、オリーブオイルと酢を多めにかけて胡椒を振って食べる。

 チーズとオリーブの塩気が強いので、これでちょうどいい味になる。

 フェタチーズは実は対しておいしくないので、どうでもいい。この食べ方、実は我々が日本で食べているサラダの食べ方と殆ど同じであるのである。日本での場合、酢は、すし酢を普通の酢で半々に割った物を使っているのとチーズとオリーブが無いのが違いと言えば違いである。
 
 なので、ギリシャオリジナルの料理でこれは美味いと思った物は実は無い。
 
 なんだか横道にそれてしまったが、とにかく崖のレストランで食べたのである。食べていると、さっきの中国美人ガイドが、お客さんを伴ってやって来て、隣のレストランに入って行った。そこは我々が最初に入ろうとしたところだった。

 中国人団体行き先が同じでおかしかった。

 我々が食べたレストランからはとても眺めがよく雰囲気も良かったが、夜なので、クルーズ船も出払っており、何も見えない。

 このレストランの下は、港に通じる道となっており、急な坂道が続いている。クルーズ船できた観光客は、この下の港まで小型のボートで渡してもらい、ゴンドラで上るかこの坂道を登ってくることになる。この坂道はロバで登る事も出来て、たくさんのロバが待機している。

崖の下のボート乗り場

ロバ乗り場

ゴンドラ。6連でなんだかゲジゲジみたい
我々が食事をしているとどこかで嗅いだような、懐かしい匂いがする。そうだ、これは我々が中世の香りと呼んでいる馬糞の匂い、そうロバの糞の匂いだ。

 最初はなかったのだが風向きが変わったようだ。食事時にこれはキツい。息を止めてた食べて、一刻も早く店を出たかった。ウエイターにチェックをお願いしたが、なんだか変なジェスチャーでふざけているようで、なかなか勘定を持ってこない。10分くらい待って堪忍袋の緒が切れ、厨房まで早くしろと怒鳴り込みに行ってしまった。もちろん、笑顔で。

 この崖の上での食事は、中世の香り要注意だ。

 宿は、中世の香りがしない崖から少し離れた所に取ってよかったとつくづく思った。

 イアの街は、フィラからバスで20分くらい行った所だ。バス代は1.6ユーロだったかな?
イアの街は夕陽ポイントらしく、夕方になるとたくさんの人が集まってくるらしい。
我々も夕陽をねらって行ってみる。本当にたくさんの人達が夕陽を見るために自分の場所を確保しており、道や場所のいいカフェは人で一杯だった。
サントリーニといえばこの教会が有名?
中にはウエディングドレスタキシードを着た中国人カップルが何組かおり、盛んに写真を撮っている。サントリーニ島で結婚式を挙げに来たのだろう。

 とにかく写真をを撮る量がすごい。専属カメラマンにメークの人もいて、ありとあらゆる所で撮影している。

 カメラをが向いているので、写り込んでは悪いと、優しい白人達は、道の途中で撮影が終わるのを待っているが、彼らの撮影には終わりがない。道が渋滞してしまう。
結婚式の撮影
しかたないので、道を通ると、カメラのファインダー内に入ったんだろうカメラマンはカメラから目を放し、こちらを睨み何か言っている。

 彼らは、肩を抱いたり、キスしたり、男性が膝ま付き女性の手にチューしたりと様々なポーズで写真を撮っている。


 我々も、その様子を写真に収めた。またもや他人のふんどしで写真を撮ってしまった。

 そんな様子を、夕陽ギャラリーから大勢の人が夕陽とともに見物している。中には自分の部屋の屋上から、頭と体にタオルを撒いたお風呂上がりスタイルで見物している人もおり、結構笑える。

チュー

風呂上がりで見物

こんな風景

わしらも結婚式の写真はここでしようなどと会話はしていないと思う。


膝まづきスタイル。

ギャラリー

みんな他人のふんどしの写真を撮る。

 彼らには、本当にいい思い出になっただろう。私は、彼らが末永く幸せに一緒にいる事を願うばかりだ。もし離婚でもしたらこの時の写真はどうなるのだろうとよけいな心配までしてしまった。

 ちょっとここいいなという場所には必ず観光客もいて、記念撮影をしている。

 夕陽を眺めていると、隣には日本人観光客がいて、写真撮影を頼まれた。エーゲ海に沈む夕陽をバックに彼らの写真を撮った。

イアの夕焼け

 夕陽が水平線に落ちてくると、結構な早さで太陽が動いていることがわかる。太陽の下の部分が水平線にかかってから上の部分が沈むまであっという間だ。このときばかりは、地球が回転しているという事を体感する事が出来る。


地球の自転を感じる瞬間


日が沈むと同時に、拍手がわき起こった。この夕陽ショーに対する賞賛の拍手だ。自分は今まで、夕陽に向かって拍手したことはなかったが、気がついたら自分も手を叩いていた。

 実はこの後が、自分たちの狙いであった。夕暮れ後暗くなるまでの間の空の色がとても好きだ。三脚を立てて月明かりで写真を撮ると、写真を撮ると空が青く、その中に星が写り、建物は普通に写り、昼間のようだけどなんだか違う不思議な写真になることが多い。
日が暮れて待つ

空が暗くなりすぎた
これを狙っていたのだが、飯食っていたらタイミングを逃してしまった。o( _ _ )o
残念ながら、きれいには写らなかった。





 サントリーニ島の崖の反対側はなだらかな坂になっており、海沿いにはビーチが存在する。砂が黒いブラックビーチと赤い砂のレッドビーチがあるので、先ずは、ブラックビーチに行ってみることにした。

 ブラックビーチの近くには、遺跡があるというので遺跡も観て廻る事に。
 バスで、遺跡に行くミニバス乗り場まで行く。たしか1.6ユーロだったが、そこから遺跡までのミニバス料金がなんと7ユーロ

 しかもバスがなかなか来ない。バス停のオジちゃんはなんか携帯でしきりに電話している。オジちゃんどっか行ったと思ったら、バンに乗って帰って来た。

 オジちゃんがいうにはバスは車両トラブルだから、この車に乗って行けという。この車なんだろうと思ったらプライベートの送迎車のようで、そのあと、いくつかのホテルをまわり、遺跡に行った。(まあ、最初の7ユーロ以外とられなかったからよかったけど)

 この遺跡は、山の上にあり、いろは坂のような急な坂道をクネクネと登って行く。15分位で頂上に到着。そこで入場料(いくらか忘れた)を払い、急な坂をのぼり、中を見学。

 この遺跡は調べていないのでよくわからないが、相当古いらしく、石垣と、壁掘られたライオンのような彫刻くらいしか残っていない。
神殿らしい
しかしながら、ここからは、ブラックビーチや、その反対側のサントリーニ島、風景が眺められ、景色が良かった




ブラックビーチ



 帰りは、バスが又来るかわからないし、7ユーロのミニバス代が高いので、歩いて降りて、ブラックビーチへ行った。

 ブラックビーチ沿いにはたくさんのレストランが並んでいるが、観光客が少ないので、何処も閑古鳥が鳴いており、呼び込みに必死だ。

 ちょっと奇麗めのお姉さんの店を選んで入った。ミックス魚グリルというのを頼んでみる。フレッシュなお魚がたくさん、焼かれてやってくるのを想像していたが、なんと、やって来たのは、一夜干しの魚だった。Σ( ̄□ ̄;)

干した魚は、久しぶりではあるが、なんとなくだまされた気分だった。

 レストランの前には、パラソルと、ベッドがあり、この店のお客さんは使っていいというので、そこで、昼寝と洒落込んだ。一応海にも浸かってみたが、ナンキンの傷跡にしみるのですぐに上がった。

 しかしながらこのビーチにはトップレスがいた。

 おばちゃんかと思いきや、一人は若い。もう一人はおばちゃんっぽく、親子か姉妹ではないかと勝手に想像した。
ブラックビーチ。写っていないがトップレスもいた

 しばらくの間、彼女らを見ながらしばしの休憩を取った。

 レッドビーチは、フィラの街から、バスで30分くらいの場所にあり、バス代も1.8ユーロと若干高い。バスは満員で、立ったままだった。

 ここにも、遺跡があり、その先にレッドビーチがある。先ずは遺跡を見る。ここの遺跡は、すべてが屋根に覆われ、保存状態がよいようだ。おそらくは、火山の噴火によって埋まってしまったようである。この中には、2階建て住宅の後等があり、台所だったのだろうか?大きな瓶壷等が置いてある。





 また、石で作った便器もあり、これは、イタリアで見たビデのような形をしており、なかなかオサレなデザインである。中央部には排水の穴があけられており、ここで古代人が用を足していたのだなと思うと、なんだか感慨深い物がある。
便器ー
この遺跡から出て来た出土品は、フィラの街の博物館に展示されているという。これは翌日に見る事にした。

 レッドビーチは、この遺跡から歩いて、10分くらいの所にあったが、途中、崖崩れの危険性があるので、立ち入り禁止になっていたが、みんな、行くので我々も行ってみた。
レッドビーチへの道
崖の上から数10メートル下に下るのだが、その道の横には数10メートルもの赤い石と泥の垂直の壁ででできており、いつ崩れて来てもおかしくない感じではある。

 足早にその危険地帯を通り過ぎ、ビーチまで降りるが、ビーチはふかふかと絨毯の様だ。よく見ると、そこには海藻が打ち上げられ、ビーチ全体が海藻で覆われおり、海藻の匂いがキツい。

 奥の方は赤い砂であるが、溶岩が固まったようなゴロタであり、きれいではない。海も海藻が混じり、はいるのにはちょっとと言う感じである。
レッドビーチ
ビーチでは数人の白人女性が水着姿で、ヨガをやっている。人が少ないので、ヨガの修行にはいいかもしれないと思った。
ヨガっています
フィラの博物館は、我々の宿から徒歩30秒の所に有ったが、ひっそりと立っているので、全然気がつかなかった。

 中には、この島で出土した陶器等が展示されている。この出土品は本当に保存状態がよいようで、無傷のものも多々ある。確か紀元前のものであったと思うが、この時代にこれだけの物が作れていたということに驚いた。







 サントリーニ島は、今でこそ、エーゲ海に浮かぶ島々のなかでもトップクラスの観光島であり、フィラやイアの街はとてもお洒落である。しかしながら、歴史的には、火山の爆発に翻弄された少しかなしい歴史を持つ島だったんだなということがわかった。

 サントリーニ島最後の夜は、適当にその辺のレストランに入り、本日の魚のグリルを頂いた。本日の魚は何だろうと思っていたが、出て来たのは、チヌだった。ウエイターに聞いたらシーブリームという名前だと教えてもらい、それを、訳したら、タイになる訳だが、赤くないのでチヌである。

 この辺りの英語訳し方は難しい。タイはsnapperともいうみたいで、なかなかの高級魚だ。

このチヌは、味付けは、ギリシャの味付けは適当なので、塩の量が少なく、自分で調整が必要だったが魚自体は、乗っていて甘みが感じられ、美味しかった。日本でも脂の乗ったチヌはとても美味しいが、素材が良い物は適当料理でも美味しいのだ。

 ウエイターは、自分が日本人だとわかると、シチズンの腕時計を外してみせてくれて、1994年から使っているけど全然壊れないよ。

  車もトヨタのコロナに乗っているけどとっても良いよ。

  日本は大好きだと言ってくれたが、日本は大好きだというのはよく聞くが、本心から言っているのか気になる所だ。

 でも中国人は、嫌いだという。「旅の途中で、何人かの中国人と話をしたがみんないい人だったよ、いい人もたくさんいるよ」と言うと、わかっているけどねーと。でも。。。と はっきりは言ってくれなかったが、嫌な思いをしたことがあるようだった。


 サントリーニ島には結局3泊して、夜の12:50のフェリーで、ロドス島へと向かった。


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2013年11月1日金曜日

ミコノス島でビーチ巡り。

 いよいよ憧れのエーゲ海である。エーゲ海と言えば、すぐに思い浮かぶのはジュディーオングの「魅せられて」だ。サビの部分の「Wind is blowing from Ahgean.〜 ♬」が頭の中に駆け巡る。エーゲ海の風はどんな風なんだろうか?といつも思っていた。きっとオサレな風が吹くのだろう。

 オサレな風とはどんな風だろう?自分の妄想だが、確認してみたかった。

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 さて、エーゲ海は、アテネのピレウス港から、ミコノス島サントリーニ島ロードス島をへて、トルコのマルマリスという街に行き、トルコの海岸線を陸路で移動し、カシュという街から、再度ギリシャのメイス島の青の洞窟を日帰りで、見学するプランを立てた。

 ピレウス港へは、アテネの中央駅近くの地下鉄駅から、2つ先で乗り換え、終点のピレウスまで行く。フェリーは7:00発の予定だったので、5:30の始発に乗れるように駅まで行ったが、結局5:50位の電車しかなかった。それでも6:30位に到着し、切符を買う。

 港には旅行会社がたくさんあるから、そこで、切符を買って、係員の指示に従えばいいよと、ホテルのオジさんは教えてくれた。

 早速、旅行会社みたいなのがあったので切符を買ったが、何故か。7:25発の切符だった。旅行会社と思ったのが、別の船会社のチケット売り場で、少し遅い船のチケットを買った事になったが、おそらく経由地が違うのであろう到着時間は1時間くらい、思っていた物より早かったからよしとした。

 我々が乗ったのはBlue Star Ferryと言う会社の船で、比較的大きな船だった。同じ会社の船が、たくさん港に泊まっている。出航すると、他の場所にも他社の同じ大きさのフェリーが泊まっており、その数はわからないくらい。


クルーズ船等の超大型船は泊まっていないが、これだけ多くの船が泊まっている港はあまり見た事がないような気がした。さすが、海洋国ギリシャだと軽く唸ってみたりする。

席は2等。2等は、ロビーや、喫茶室のテーブル席だ。シート席は、飛行機のシートみたいな物が並んだ所があり、指定された席がある。

 長椅子になっている喫茶室のシートをキープしたが、シーズンも終わりかけというのに、なかなか混んでいる。喫茶室の、椅子はほぼ一杯。シート席はまあガラガラという状態だ。

この船で、途中2つの島に寄り、乗客の2/3はそこで降り、最後は、ガラガラとなったが、6時間程ゆられて、ミコノス島に到着した。
ギリシャの国旗をなびかせながら海を渡る

 島に上陸して、宿の名前をメールで確認したら、その名前を書いたボードを持っている兄ちゃんが目の前に立っていた。

 迎えに来てくれていたのだ。

 どうやって宿まで行くか悩んでいたのだが、一挙に解決。

 宿は、港からそれほど遠くはなかったが、坂があり、荷物を持って上がるのはかなりキツそうだったので、ラッキーだった。

 どうやら、何時に何処に着くか確認のメールを送ってくれていたそうだが、昨日の夜に予約していたので、到着前にそのメールを見る事が出来なかったのだ。

 その宿は、レンタカー屋もやっていて、早速、レンタカーの営業を受けた。

 周りに何も無いし、足がないと、どこにも行けないので、1日35ユーロの車を30にしてくれるというので、車を借りる事にした。しかも、今日の昼過ぎから借りて、翌日の夜まで1日分の料金でいいという。 
借りた車(結構ボロい)
なかなかいいサービスだと思ったが、3時以降、スタッフが家に帰りたかったためだった。Σ( ̄□ ̄;)

 早速、車に乗って市街地へ。車では5分で着いた。別に歩けない距離ではない。ミコノス島名物の風車に行ってみるが、たしかに風車小屋はあるが、風車自体、帆が張ってなく。壊れかけており、なんだか寂しい感じだ。
ミコノスタウンを一望
街中を歩いてみる。建物はすべて白いペンキを塗られ、ドアや窓枠は青く塗られている。街の中の道は狭く迷路のようだ。モロッコのシャウエンを思い出すような造りである。
ピタ屋さん。ここで昼食
猫が多いのも、シャウエンそっくりだ。

シャウエンと違う所は、売っている物が、オサレである。ブランド品が多く、何故かスヌーピーキティーちゃんなんかもあるが、大抵はつまらない物ばかりだ。シャウエンのほうが、オリジナリティーがあり、楽しい。
ガスボンベも青に塗られている


あとは、うざくないろころも異なる。しかしながら、あんまり、声も掛けられないのも寂しい物である。
 そんなことを考えながら歩いていると、レストランのおっちゃんが話しかけて来た。オジさんはどこから来たのかと聞く。日本だよと答えると、そうか日本人は大好きだという。いつもそういわれるので、又かと思っていると、いきなりオジさんは、中国人と、イスラエル人と、アルバニア人は大嫌いだと言い出した。

 中国人とイスラエル人はまあよく聞くが、アルバニア人はよくわからない。

 アルバニア?と聞き返すと、そうだ、アルバニアだという。よっぽど、嫌な目に会ったのだろう。イロイロ言ってたが、よくわからず、うざくなって来たので、退散した。

 多少のうざさはあるみたいだ。
お土産物屋さん

もちろんバイクも青




車を借りたので、街中ばかり見てては勿体ない。どこか何かを観に行こうと調べたが、特に何も見るものがなく、この島ではビーチがメインらしいということがわかった。
我々は、ビーチハンティングをすることにした。


 こう見えても、私は、別に泳ぎはしないが、ビーチハンティングは大好きなのだ。
いままで、旅行と言えば海ばっか。いろんなビーチに行って来た。ミコノスのビーチのレベルを確認してやろうと思った。

 とりあえず、メイン道路の端っこのビーチに行ってみた。20分くらいだったかな?シーズンオフの夕暮れのビーチにはだれもおらず静まり返っていた。
だーれもいない海♬
港があるので行ってみたが、誰もいない。寂しいみなとだ。小舟が着いている、岸壁には、50cmくらいのエイがひっくり返って捨ててあった。もしかしたら、干物を作っているのかもしれないが、ひっくり返っていた。
ひっくり返ったエイ
小さな教会があり、レストランもあるが、だれもいない。人影もないので、退散し、次のビーチに行く。

 次のビーチは名前は忘れてしまったが、途中、野焼きのようなものがあり、何となく阿蘇を思わせるような感じである。
の焼き
この辺りの土地はすべて、石垣で囲われ、適当な広さで仕切られている。おそらくは、土地の所有者が俺の土地はこれだけだと領有を主張しているのだろう。石垣だらけだ。でも作物をつくる分けでもなく、荒れ地になっている所が多い。
石垣
このビーチの入り口に入ると、レストランがあり、その先に、茅葺きのパラソルが、置いてあった。砂浜は砂でなく、少し赤茶けた細かな石ころのビーチである。

 裸足て歩くと痛い

 向こう側の山の斜面には、おそらくマンションか、ホテルを建てようとしたのだろう、朽ちかけたコンクリートの廃墟があった。


廃墟

だーれもいない海♬


ここにも、バブルがはじけた跡の痕跡のような物があった。

 この浜にいるのは我々と白人の老カップルだけ。

 寂しいので、退散した。

 宿には、簡易キッチンがあったので、食事は久々に自炊。といっても、インスタントのリゾットをお湯でふやかし、あとは、卵とベージーコン、サラダの夕食だったが、おいしかった。

 翌日も、ビーチ巡り。どこに行けばよいかわからないので、観光バスの後をつけてみた。

 観光バスは、海沿いの行き止まりの教会に止まった。教会が目的地のようだった。
小さな教会




ミコノス島には、小さな教会至る所にある。本当に数が多いが、小さいので、中に入れるのは数人だろう。この教会一つ一つに神父さんがいるのだろうかというのが、自分の素朴な疑問だ。

 この教会は、2つのかまぼこ型の建物が並んでたっており、屋根に十字架がありその下に、鐘が取り付けられ、鐘からロープが下がっており、このロープを引いて鐘をならす。観光客はみんなこの鐘をならして遊んでいる。
説明を追加
この鐘のおとはチャランポランと安っぽい音だった。奥には、数人が集えるような別の建物があるが、中は特に何もなかった。

 おそらく、これらの教会は、日本でいう御堂のような物ではないかと思った。十字架がある建物は、人が入れなさそうな小さなものまであるので、これは、お墓ではないかと推察したが、本当の所はわからない。


 このあとは、ビーチをまた巡ってみた。一つ目のビーチは、浜辺に、たくさんのレストランが、立ち並び、水際ぎりぎりまで、パラソルとベッドが並べられていた。

 小さな湾になっているビーチは、砂の色が茶色で、水はきれいで穏やかだった。数人の海水浴客が、海水浴を楽しんでいた。
カエルウオ
水深50cmくらいの海を覗くと、カエルウオのような魚が見えた。また、砂地に目を凝らすと、10cmくらいのカレイがいた。保護色で、砂になりきっているようだが、水上かもしっかりとその存在がわかるのがかわいくもあり、おかしかった。
カレイ


 パラソル代が高そうなので、次のビーチへ。ここはパラダイスビーチと言い、ディスコ等もあるらいい。

 矢印に沿って行くと、そのまま有料駐車場に入りそうになったが、慌ててUターンして脱出。奥に進むともっといい場所に無料の駐車場があった。

 このビーチで泳いでみた。泳いでいると、足がなんだかちくちくする。ゴーグルをつけて、足を見ると、無数の小魚が、ナンキンに刺された傷口をつついている。

 こいつらは、Dr.フィッシュなのか、あるいは、ピラニアなのかわからないが、気持ち悪いので、退散した。

 次に行ったのは、スーパーパラダイスビーチ。スーパーが付くからパラダイスビーチより、すごいのに違いない。

このビーチもすごい坂を降りて行くが、対向車のバギーのカップルがガッツポーズをして、楽ししそうだなと思っていたら、坂がすごすぎて、2人乗りのバギーはなかなか上がらないのだ。ガッツポーズは、坂を上りきった喜びのポーズだというのがわかった。

さて、このビーチは駐車場からいせまい入り口をぬけてビーチに行くが、必ずクラブの中を通って行くようになっている。シーズンオフであるが、クラブは営業していて、洒落た音楽を流している。

 このクラブの前にパラソルとベッドが並べられておるが、確か1パラソル2ベッドで14ユーロらしい。

 風が強いので、壁際のパラソルに近い所にレジャーシートを広げたら、サングラスのマッチョマンがきて、ここは、ダメだ、パラソルの前か後ろに行けと言われた。
クラブのマッチョマン

ここで昼寝
ここで、2時間ばかし昼寝と洒落こんだ。

 このビーチは、クラブの音楽が、流れていて、また、きれいに整備されていて、雰囲気は良かった。さすがはスーパーが付くだけの事はある。

 おそらく、シーズン中はかなりの客でにぎわうのだろう。夜通しバスがあるみたいなので、夜はガンガン音楽が鳴り響くのではないかと想像した。

 次に、隣のビーチに行くと、なんだか見た事ある光景が。。

昨日来たビーチだった。今日は、パラソルの向こうに、オジさんが、ひなたぼっこしているが、なんだか変だ。

この奥にはじつはスッポンポンのオジさんが写っている。

 彼は、すっぽんぽんで、股間に拳銃のようなものを、ぶら下げていた。しかもかなりデカい。マグナム並みだ。

 妻は、小鼻を膨らませ、この辺りのビーチはヌーディストの人も多くて、ゲイも多いらしいよと、さっき読んだガイドブックの知識を披露してくれた。

 こいつらはゲイか? 股間の拳銃を発射されたたたまらんとあっという間に退散した。

 まあ、クロアチアのドブロヴニクにもヌーディストビーチがあり、多くの人達が裸を楽しんでいた。ミコノス島は、シーズンオフなので、多くはないが、シーズン中はかなりの人達がを楽しむようだ。ほかの場所でもそういったところはたくさんあるよいうだ。

 よく考えてみると、日本には露天風呂がある。露天風呂では、みんなスッポンポンであり、なかには、大の字になって大事なとろも日光浴させている人もいるし、品評会をやっている若いグループなんかもいたりして、スッポンポンを楽しんでいる。

 当然混浴の所もある。阿蘇の地獄温泉はなんかは、老若男女問わずスッポンポン泥湯に浸かり、泥を体に塗り塗りしている。この温泉は、匂いが強烈で、風呂上がりにまた風呂に入りたくなる温泉だ。

 また、屋久島には海中温泉というのがあり、干潮時にだけ、温泉になる海岸がある。ここの海岸もとくに更衣室等ある訳もなく、その辺でスッポンポンになり、風呂につかる。

 屋久島に来る人たちはこの温泉に入るのを楽しみにしている人達も多いと思う。自分もずいぶん前だが入った事がある。とても気持ちよかった。
 この光景はヌーディストビーチと何ら変わらないと思う。

 日本では一応、タオルで隠すという暗黙のルールがあるようだが、ヨーロッパ以上に、日本にはスッポンポン文化がありスッポンポン大国である。

 このように考えてみれば、とくにヌーディスト達の気持ちがわからないわけではく、特殊なものでも何でもないと思う様になり、股間の拳銃を乱射されるという恐怖感もなくなった。


 そうはいっても何も囲いの無いビーチでのスッポンポンは、ミニピストル並の自分にはハードルが高い。

 ミコノス島の家は、白い壁に青いドア、窓で統一されている。それに加えて、ミコノス式建築物は、角が円い。壁と壁の角、手すり等角はすべて、面が取られ、優しいカーブで構成されている。

このような形はどこかで見た事があると思ったら、バルセロナでみたアントニガウディの建築物カサ・パトリョや、グエル公園の壁や手すり、階段、天井の装飾物等々に似ていると思った。両者が関係あるのかどうかは全く知らないが、ミコノス式の建築物がなんで角が円いのか今度調べてみたいと思った。


妻に、海辺の少し小高い場所で、ジュディー・オングのまねをしてもらい、優雅な写真を撮ってみた。

 この日は、風が強く、妻のジュディーオングもどきのカーディガンは、なかなか思う様に風になびいてくれない。

 それでもがんばってポーズをとってもらったら突風が吹き、ジュディーオングカーディガンが風にはらみ、まるでムササビの様にしか見えなかった。
ムササビ
エーゲ海から吹く風はオサレというよりは荒々しい突風だった。

 そんなこんなでミコノス島もあっという間に終わった。レンタカーの燃料は同じメモリの位置返しで、下から1つ目の目盛りより若干下の位置。これに合わせるのはなかなか難しかったが、なんとか上手くいった。

 ミコノス島は、白い壁に青いドア、窓の家と小さな教会がたくさんある、メルヘンチックな街とたくさんのビーチがある、のどかな島だった。



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