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2013年12月24日火曜日

パレスティナ自治区ベツレヘムで考えた。


 エルサレムを出て、パレスティナ自治区ベツレヘムという所に行ってみた。エルサレムの旧市街のダマスカス門の近くのバス停からバスに乗り、40分くらいだったろうか?

 事前情報では、チェックポイントがあり、パスポートチェックされるとかしないとかいろいろ言われていたが、特に何事もなく、ベツレヘムのバス停に着いた。あれ?チェックポイントは何処だろう?と思いながら歩いて、目的の教会へと向かった。

 途中で寄った食堂で前の席に座っていたおじさんは、空手道場をしているという。今からぜひ見に来いという半ば強引な誘いをイロイロ理由を付けて必死に断り、目的地である教会へと向かう。
こんなもんを食べてみました。まあまあ美味しかった。

空手道場のオジさんと
途中商店街があり、yukaさんが寒くなるからコートが欲しいなと言いだし、洋服屋さんで、コートを物色。値段を見てびっくり。なんと、エリマキトカゲ風の温かコートが日本円にして3000円なのだ。エルサレムの物価からして考えられないくらいの値段。ベツレヘムはかなり物価が安いようだ。

エリマキトカゲ風コート
速攻でコートを買い込むyukaさん。

 ようやく聖誕教会へ。

意外と地味な教会の入り口

教会の床の下にはモザイクの床がある。

教会の柱は手脂でピカピカ


ここは、キリストが生まれた場所があり、中に入ってみる事が出来るという。早速その列に並ぶが、その列にはたくさんの人が並んでおり、30分程並んでみたが、全く動かない。若干前に進むのだが、それは、諦めて列を離れる人がいるからだ。

 そこへ、親切なオジさんが登場。この列は、ツアー客用で個人客は別の入り口から入れるよとyukaさんに教えてくれた。やっぱり若い女性と一緒に来るべきだ。情報が勝手に歩いてくる。(笑)

 この生まれた場所というのは教会の祭壇の下にあり、向かって右側に列があり、右から入り、左から出て行くが、個人客は、左から入れてくれるというのだ。

 早速中に入れてもらい見るが、生まれた場所のシンボルは、高さ1mくらい穴の中にあり、腰を屈めないと入れない。そこには、たくさん観光客が群がり、なかなか中に入る事ができない。自分は諦めていたが、妻は、隙間を縫って中に入り、写真を撮ってきた。
キリストの生まれた場所だそうだ。
それを見ると、さすがに、生まれた場所というだけのことがあり、があり、周りに星形の模様が描かれていて、みんなが触るのだろう。手脂で磨かれた感じだ。まあそれだけだ。ここはエルサレムの教会のように10秒でつまみ出されるという事はなく、優しい感じで印象は良かったが、人がたくさんで空気が悪そうだった速攻で出てきた。

そのあとガイドブックによると聖母マリアの母乳で赤い地面がミルク色に染まったというミルクグロットという教会に行った。

 途中では、オリーブの木を削って、彫刻を作る工場が立ち並んでいて、職人さんも、愛想がよく写真を撮らせてくれる。


数珠の玉を削っている

職人





買ってあげられないのがとても残念だったが、十字架に掛けられたキリストの大きな彫刻等はなんだかリアリティーがありよかった。
オーリーブのイエスさん
教会自体は、古い建物と、新しい建物が一体化したような造りの建物で特にどうこういうもではなかった様な気がした。

ミルクグロット教会




 昼食を、聖誕教会の近くのレストランで、昼食をとることにした。エルサレムと比べて、値段は安く、美味しく我々のベツレヘムに対する印象がぐんぐん良くなって行く。

 そこのレストランのマネージャーだろうか?ちゃんとした格好のオジさんが非常に丁寧な口調で、我々のペットボトルを指して、水が必要だったら、ペットボトルに入れてあげるので、遠慮なく言ってくださいと言う。

 そんな風に言われるのは初めてで親切だなーと思っていた。我々のボトルはまだ十分に水があったのでお断りしたが、yukaさんは水を入れてもらった。

 実をいうとこのパレスティナ自治区という物を私はよく理解しておらず、なんだか恐い地区というよな漠然としたイメージしか持ち合わせていなかったが、 このパレスティナ自治区の人達は、エルサレムと比べて、みんな、親切でとてもいい感じの人達が多い様に感じた。(もちろんエルサレムにもいい人達はいたけど)

 このあと、パレスティナ自治区とエルサレムを隔てているを歩いて観に行く。
いろんな人に聞きながらようやく、壁に到着すると壁は落書きだらけで、かなり荒れている。でもその中にいろんな絵が描かれているが大抵は、平和を願う絵だ。
監視塔?




有名なイギリス人壁画アーティストのバンクシーの絵もある。と偉そうに書いてみたが実はバンクシーって誰だか知らない。調べてみると、ゲリラアーチストで、世界の有名美術館に自分の絵をこっそり展示してたりと、なんだかルパン3世の様な感じの画家らしい。

 バンクシーの少女が風船をジャンプして取ろうとしてる絵を見つけて、自分もジャンプしてみた。壁はものすごく高く、ちょっとやそっとジャンプしただけでは、写真であっても飛越えられない。私のジャンプ写真もこの壁には通用しないようだ。

ジャンプしてみたが、壁は高く、当たり前だがとても飛越えられない。

 この長く続く壁沿いを歩いて行くとそこにはチェックポイントがあった。チェックポイントからは、エルサレムで仕事をして帰宅する人達が大勢出て来ていており、その客目当てのタクシーお店がたくさんあり、活気があった。
ベツレヘムのチェックポイント。夕方イスラエル側から帰ってくる人達でごった返していた
パレスチナ側からイスラエルに行く人達はごくわずか。おそらく朝はこの逆だろう。
誰もいないチェックポイントを通過しようとしたらセキュリティーチェックの兵士はさぼっていて我々に気がつかない。

 セキュリティーを通り抜けるとけたたましい音がなり、再チェックをさせられた。パスポートチェックは我々のうち1人が見せたらあとはノーチェックでエルサレムに戻った。

 エルサレムよりパレスティナの方が人達が優しくおおらかな感じがする。エルサレムはどこに行っても、銃を構えた兵士がウロウロしており、威圧感を感じる。逆に安全なのか、危険なのかよくわからない。

 イスラエルからの出国は、北のボーダー、ヨルダン川ボーダを使用した。最初宿のオヤジに行き方を聞いたが、適当に答えられ、どうやら嘘っぽい事がわかり、ヤッフォ門の近くのツーリストインフォメーションに聞きにいくと、1枚のプリントをくれて説明してくれた。

 北のボーダーへはエルサレムのセントラルバスステーションから、バスに乗り、ベトシェンと言うところで降り、そこからボーダーまでタクシーで行くということがわかった。
こんなキッパ頭の人を見ながらバスでベトシェンへ

ベトシェンへの道中はこんな風景が広がる。
バスを待っていると1人の日本人女性と一緒になった。高橋さんというカメラマンで、何ヶ月かパレスティナの友人宅で遊んでいたという。

 我々はパレスティナの事なんか殆ど良く知らない。彼女に根掘り葉掘りきくと、彼女は親切にいろいろ教えてくれた。

 パレスティナでは未だに銃撃戦が行われており、緊張が続き、2年に1回くらいは人が死ぬ事もあるとか、友人の外国人が流れ弾に当たり怪我をした事もあるらしい。

 エルサレムの飯がまずいというと、パレスティナでは家庭の料理を食べていたので、美味しいですよと言われた。ヤッパリ、エルサレムの旧市街がダメなんだろう。

 ただ、パレスティナでは、水が貴重で、外から来た人にたいして水を振る舞うのが最高のおもてなしだそうだ。

 そういえばぱベツレヘムのレストランのマネージャーのような紳士は丁寧な言い回しで我々のペットボトルに水を入れてくれるとも言ってくれた。彼は我々に最高のお・も・て・な・し・をしてくれたという事がいまさら分かり、すこし感動した。

 国境では出国税を払い、窓口にパスポートを提出し、すんなりと通過した。

 高橋さんはヨルダンの国境にいくバス乗り場までくると、ほっと安心した様な顔つきになり、実は、取材でたくさんの写真を撮り、もし調べられたらヤバい物がたくさんあったんで緊張したんですという。

 大切な物はクラウドにバックアップしてあるとはいえ、全部写真をアップする事は難しく、ここでデータを消されたら一貫の終わりである。

 国境でパソコン没収され、中を全部チェックするまで返してもらえなかったという人の話も聞いており、自分も、写真見られたら、ヤバいなあ等と思っていたくらいだから、緊張度は相当な物だっただろうと思った。

 彼女は、見た目には、そんな風には見えなかったが、その辺りはプロだ。飛行機で出国しなかったのは、空港でのチェックがとても厳しいので、この国境を選んだのだそうだ。
 やはりイスラエルという国はまだ我々の想像を超えた世界にある様な気がした。
このバスでイスラエルの国境からヨルダンの国境

ヨルダンの国境
国境からアンマンの空港まで、3人でタクシーをシェアして行った。彼女はアンマンで1泊してから帰るという。

 今日は久々にゆっくり寝たいなーという彼女の言葉が印象的だった。おそらくいままでは緊張でよく寝れてなかったのだろう。

 我々は、アンマンから飛行機で、インドのデリーに向かった。

アンマンの空港だモン



ただいまチェックイン中


2013年12月14日土曜日

エルサレムで聖地巡り 

 ヨルダンから、イスラエルへと向かおうと思ったのだが、いろいろ聞いた話では、この国境声がなかなかややこしいらしい。入ったはいいが、出てこれなかったりといろいろトラブルがあるという事をなんとなくネットで見ていたので、どうやったらスムーズにイスラエルに入るかを考えてみた。
 イスラエルにヨルダンから陸路から入国するには、3つのルートがある。
 北から順に、ヨルダン川ボーダー(シャイフフセイン橋)、アレンビー橋(キングフセイン橋)、アカバボーダーがある。アレンビー橋が一番エルサレムとアンマンに近く、便利そうなのだが、アレンビー橋を使ってイスラエルに入国した人はヨルダンにアレンビー橋からヨルダンに再入国できるが、それ以外から入国すると、アレンビー橋からはヨルダンに入国できないらしい。

 そもそも、アレンビー橋は正式な国境ではなく、ヨルダン側にビザの発給機関がなく、アレンビー橋から出国すると正式な出国ではないので前回の入国時のビザが有効なためヨルダンへの再入国が出来るということだった。

 この内容を理解するまでにイロイロ調べまくり、かなりに時間を費やしてしまったが、ガイドブックにさらっと分かりにくく書いてあった。(爆)

 我々は、もう一度ヨルダンに帰ってくる必要があるので、アレンビー橋からの入国を企てたが、バスのチケットを買いに行くと、朝6:00のバスでアカバからアンマンに行ってもその日にアレンビー橋は通れないぞとバスのオジさんに言われた。どうやら、その日は金曜日でイスラエルの安息日で国境は12時で閉まるので間に合わないらしい。Σ( ̄□ ̄; ) ガーン 

 そんなことはガイドブックに書いてなかった様な。。

 アンマンに泊まるのはイヤなので、アカバボーダーからイスラエルに入国して北のヨルダン川ボーダーから、ヨルダンに入国する作戦をたてた。

 タクシーでアカバボーダーまで行くと時間が早すぎて、未だ国境は閉まっていた。朝8時に国境が開くと聞いていたが、実はイスラエルとヨルダンには時差があり、ヨルダンの朝8時は、イスラエルの7時であり、つまり、ヨルダンの9時に国境が開くので、朝8時に行ってもイスラエルの入国が出来ないと、まあ、ややこしい。

 朝8時は、意外と寒く、外にいると凍えそうだったので、妻とyukaさんはオジさんのプチセクハラに悩ませながらも、寒いのでタクシーの乗り場の運転手の待合室で休ませてもらった。
タクシー運転手達と

 ようやく時間となり、出国となったが、お弁当を持ったヨルダン人集団に先を越され、唖然としてしまったが、どうやら並ぶ列が違うようで、先に行かせてもらえた。

 ヨルダンの出国は簡単で、たしか税金を払い、出国スタンプを押してもらい、すぐに完了

 歩いて、イスラエルへ入国するが、まず最初に、お姉さんにパスポートを見せる。生年月日と、名前を聞かれ、入国の目的を聞かれるので、サイトシーイングと答えたが通じず、ホリデーと言い直すとOKが出て、次に進む。

 次は、セキュリティーチェック。荷物を全部X線照射機に通すが、妻のbagはそのままOKだったが、自分のバッグは中を開けてチェック。シャンプー等の液体を取り出し再度X線へ。

 他の人の様子を見ていると、液体と本類がダメなようで、再チェックとなるようだった。

 次に、いよいよ入国で、列に並び、窓口で、入国スタンプを押してもらう。イスラエルの入国スタンプがあると、イスラエルと仲の悪い国には入国できないらしいので、ここでノーススタンプと言えばパスポートにスタンプを押さずに別の紙に押してくれるということだったが、妻がノースタンプと言ったにもかかわらず、聞こえてなかったのか無視されたのか分からないが、スタンプを押されてしまった

 まあその辺りの国には行かないので記念にいいやと割り切った。

 そんな感じで出国から入国まで1時間位かかったがスムーズにいった。
 
 イスラエルのお金がないので、ATMを探したが、ここにはないので、ヨルダンのお金からイスラエルのお金に両替えをした。両替所のお姉さんは、とても愛想がよく、国境の職員は冷徹な感じだっただけに、なんとなく癒された。

 国境からエイラックのバス停までタクシーで移動。国境職員の話によると高くても40シュケル(1シュケル27.4円)という。タクシーに乗り15分くらいだったろうかメーターを見ると23シュケルだったので、まだまだかなと思っていたらすぐにバス停に着いた。

 運転手がメーターのボタンを押した瞬間メータが49シュケルに跳ね上がった。何だこれは?と文句を言うと、運転手はバッグあるし、4人だしと意味不明の事をいう。
 後で分かったのだが、イスラエルのタクシーはトランクに入れた荷物の代金をとるようだった。しかし4人だしというのは未だに分からない。

 エルサレム行のバスまで約40分。切符を買い、売店で300円位もするカップラーメンをすすって、バスに乗り込んだ。

 バスは、しばらくうねくねと道をすすみ、死海の沿岸を走る。死海の水はエメラルドグリーンで、砂漠の中のオアシスのようできれいだった。途中にリゾートなどが立ち並び,そこで死海の海水浴ができるようだった。

 休憩所でアイスを何気なく買ったのだが、なんと普通のジャイアントコーンみたいなアイスが400円もした。Σ( ̄□ ̄;)

 バスの中でうとうとしていると爆音が響いた。窓の外を見ると戦闘機が3機死海の上を超低空飛行している。TVで見た事あるような風景で、イスラエルに来たのだなと実感する。
死海
バスが止まると、銃を持った女性と男性の兵士がバスに乗り込んできた。女性はとても若く、色が白く小さくて可愛らしかった。ピンクの可愛らしいカバーをかけたスマホを右手に持ち、左手にを持ち、なにやら乗客の顏とスマホの画面を見比べていた。
 
 バスはエルサレムのバスセンターに到着。実は、バスセンターからの宿までの行き方を調べていなかった。

 おそらくトラムで行けるだろうと思い、トラムの停留所で、路線図を調べていると、若いときはさぞかし美人だっただろうと思われるお婆さんが話しかけて来て、行き方を教えてくれた。

 買い方がよく分からない券売機で四苦八苦してようやく、切符を手にしたら、さっきまで電車動いていたのに、今日の電車はもうアウトオブサービスだと言う。まだ、4時なのに?

 よく聞くと、この日は金曜日で安息日らしく、夕方から公共交通機関は動いていないらしい。動いていない電車の切符なんか売るなよー怒ってみたがお金は返ってこない。

 タクシーで、旧市街まで向かう事になったが、さっきのお婆さんも電車がなくてといい、旧市街の方に行くというので、一緒にタクシーに乗ったが、100m走った所で、お婆さんは降りてしまった。

 あまりにも降りるのが早いので、もしやスリじゃないかと思い、隣に座っていた妻にバッグ大丈夫かと確認したが、問題はなかった。

 エルサレムの旧市街の中は車が入れない。ヤッホゲートから宿のあるチェーンゲートまで、15分くらい歩いて行ったが、両脇にお土産物屋さんがビッシリあり、さらに変則階段で、荷物を持っての移動は大変だった。

 宿は、チェーンゲートというイスラムのモスクの入り口の所にあったが、門の前には,銃を持った警官が常に立っており、なんだか、物騒なのかしっかり警備されていて安心なのかよくわからなかった。

 エルサレムは、キリスト教イスラム教ユダヤ教の聖地である。
 なんで、3つの宗教の聖地なのかはよくわからないが、とにかく聖地なのだ。聖地なので神聖な場所だろうと思ていたが、街の中はゴミだらけで、お土産物屋さんが道の両脇にビッシリならんでいる。5mおきにお土産物屋さんに声をかけられ、めんどくさく、めちゃ俗っぽい



















宿の所にあるチェーンゲートからはすぐにイスラムのモスクが見えるので、入ってみようとしたら、銃を持った警官にクローズだと言われた。どうやら、モスクの見学時間は7:00〜10:00と、12:30〜13:30と言われた。

 仕方なく、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」に行ってみた。宿からダマスカス門に抜ける道に入場ゲートがあり、セキュリティーチェックを通り、中に入る。早速写真を撮ろうとしたら、写真はダメだと怒られた。

 この日は土曜日で安息日なので、写真を撮ったらダメらしい。また安息日かよ。と嘆いてみた。???なんだかよくわからないが、別の日ならいいようだ。

 嘆きの壁に行くのは自由だが、中に入るには男性はキッパという帽子をかぶらなければならない。これは入場ゲートのところで貸してくれるのでかぶるが、後頭部にちょこっとだけ、お皿を乗っけるような感じであり、これをかぶるとまるでカッパだ。
レンタルキッパ
販売キッパ

カッパじゃなくてキッパ軍団
真面目なユダヤ教徒は、もみあげの上部の髪を伸ばし、カールさせていて、後頭部はそり上げた変な髪型で、黒い大きなツバのハットをかぶり、黒いズボンに、白いシャツ、黒いジャケットを着て、ジャケットの下から何本もの紐を垂らすという独特のユダヤファッションをしている。

 こう書くととてもかっこ良い感じがするが、全然かっこ良くはない

お祈り帰りのユダヤ教徒
また、常に神妙な顔つきで、うつむき加減で足早に歩いており、ちょっと話しかけてみたかったが、絶対にこちらを見ない。自分の世界に浸りきっている感じがして、かなり変な人達に感じる。


 嘆きの壁ではユダヤファッションのユダヤ教教徒が壁に向かい、体を前後左右に揺らし、手に持った聖書を読みながらお祈りをしている。その姿は、まるで、体全身で貧乏揺すりをしているようで、はたからみると少し滑稽な感じがする。

昔の勤め先で両足で貧乏揺すりをする人がいて、ツインカムと呼ばれていたが、ユダヤ教徒の場合は全カムである。

土曜日は、撮影禁止だったので、別の日に行ってみると、嘆きの壁の隣には、図書館みたいになっており、聖書らしきものがたくさん並んでおり、信者が、それを手に取り、思い思いの場所で体を揺らしていた。

 ユダヤ教という物を初めて見たのだが、なかなか面白い宗教である。
ピカチュウもユダヤファッション
キリストが十字架を背負い歩いた道ヴィア・ドロローサという道を歩いてみた。
十字架と共にヴィア・ドロローサを歩くというツアーをやっているらしく、十字架を持った集団が、賛美歌を歌いながらひっきりなしにやってくる。中には涙を流している人もいる。まあちょっと十字架が小さいのがあくまでも観光用って感じでインチキ臭い。。

十字架を抱えヴィア・ドロローサあるくツアー
キリストが最初につまづいた所らしい。
この道沿いは、ゴミも多く、お土産物屋さんがビッシリで、勝手に説明してチップをもらおうとするインチキガイドがいたり、yukaさんに今夜飲みに行こうとナンパしてくる腹の出た推定55歳のカメラ屋のオヤジがいたりと、なにかかと怪しい感じだ。
カメラ屋の ナンパオヤジ。
覗くと幸せになれるらしい。

くまモンも覗いてみた


そんな変な人の対応があったり、人も多く徒歩なのに渋滞したり、場所が分かりにくかったりして、かなり時間がかかったがようやく、最後の聖墳墓教会にたどり着いた。この教会の中は大きなドームがあり、特に豪華ではないが、歴史がありそうな感じはする。教会に入った所に、石の板が置いてあり、参拝客が、その石を撫でたりほおずりしたりキスしたり家族の写真をならべたりと様々な形でお参りをしている。なかにはサンダルを石にこすりつけている人もいたりして、おそらく、聖なる石の板はかなり汚いと思う。
石板に祈る

熱心に祈る


 ここには、キリストの墓があり、中に入る事ができる。折角だからと1時間以上も並んで入った、並んでいる間は、パイプオルガンが鳴り響き、参拝客が賛美歌を歌うが、若干不協和音気味だ。

 墓の中は、一度に5〜6人くらいしか入れない。長蛇の列にみんな押し合いへし合いで、係の髭の神父さん?も口調が厳しく、ちょっと対応が荒い。この態度もこの人達は本当に聖職者なのだろうかと疑ってしまう。
いよいよお墓のなかへ
ようやく中に入り写真を2枚撮った所で、我々はつまみだされてしまった。その間10秒くらい。
キリストの墓の中
キリストの墓の周りにはロウソクが灯されているが、ロウソク立てにはゴミが置かれ、周囲は騒々しいし、これではキリストも成仏?できないのではないかと心配になった。

 イスラムのモスクは、朝9時過ぎてから、宿のところのゲートから入ろうとしたら警官にクローズだと言われた。あれ?10時までいいって昨日言ったじゃんと絡んでみると、入れるのは別の入り口らしい。嘆きの壁の奥にある入り口にいったら、もうクローズだ12:30に来いと言われた。

 今度は12:00に並んでみたが、人が多くて、長蛇の列。結局中に入れたのは13:15くらい。モスクには大きな金色のタマネギ型の屋根があり、そのしたの壁は一面タイルバリできれいだった。中に入ろうとしたら、クローズだと言われてしまった。
モスクだモン
モスク自体の大きさではイスタンブールのブルーモスクのほうが大きい感じがした。と腹いせに文句を書いてみた。

 別の観光客がジャンプして写真を撮っていたら、係員がやっていきてものすごい勢いで怒り、タイムオーバーだとつまみ出された。我々もジャンプ写真を撮りたかったが、残念だった。そして我々もタイムオーバーだとつまみ出された。ずいぶん待ったのに、見学時間実質15分くらいで終わってしまったのが残念であった。
タイルの細工は細かい


宿で会ったチェッコ人は、4回モスクに行ったが、毎回クローズだと言われ、5回目ようやく中に入れたが、3分でつまみだされたそうで、苦笑していた。翌日彼らは7:00に宿を宿を出て行き、朝一で観に行ったようだ。
十字架とモスク
モスクへの入場を待っている間、前に並んだイスラエル人の若者3人と少し話をした。彼らはユダヤ人で、両親はユダヤ教だという。君たちも黒ハットをかぶり、黒い服着て、お祈りするのかと聞くと、そんな格好するのは、ハロウィンの時だけだと笑っていた。

 彼らは、普通の何処にでもいる若者だった。
イスラエルの若者と。真ん中の彼は、別にスカートを履いている訳でなく、
短パンだったら足を隠せと注意され腰巻きスタイルに。
エルサレムでの食事は、酷かった。どこに行っても高くて、まずくて、サービスが悪いという3拍子揃っていた。おそらくいままで行った中で一番酷かったと思う。

ダマスカス門の外にあった串焼き屋台

野菜サラダ。オイシソウに見えるが。。。。。。

魚のフライ。最初豚足かと思った。

チキンバーベキュー 。。。。



 これは旧市街の中での話であり、市場等には新鮮な野菜がたくさん売られていて美味しそうだ。普通の市民は、きっと美味しい物を食べているとはおもうのだが。。。

 宿はチェーンゲートホステルという所でモスクへ入る門の隣にあった。この門から異教徒が入る事は出来ないので、宿に帰る途中最後の曲がり角を曲がると必ず子供達が遣ってきて生意気そうな口調でクローズだという。毎回だから、そのうち鬱陶しくなってくる。

 夜になると子供がやってくると、「もう遅いから速く家に帰れ」と先制攻撃をする事にしたが、こういうと何故か子供達はきょとんとした顏になりおとなしくなる。

 ホステルは2ヶ月前にできたそうだ。宿のオヤジは、60くらいだろうか?booking.comの評価を気にしており、日本人の評価はとても高いのに、中国人の評価が低いのを気にしてた。

 ここの宿は朝食がついていて、ひよこ豆をする潰したもものと、円盤状のアラビアンパン?とお菓子と卵がついておりそこそこ美味しかった。朝ご飯がまあまあだったのがせめてもの救いだった。
 
 このオヤジ(推定60歳)はyukaさんが気に入ったようで、なんと夜飲みに行こうと誘ったらしい。自分たちも一緒でいいのと彼女が聞くとダメだと言われたらしい。(爆)

 彼女の返事が曖昧だったのでオヤジは、なんとおつまみを自分で作りビールを買って、彼女の帰りを待っていたのには笑ってしまった。

 エルサレムの旧市街は本当に不思議な所だ。面白いと言えば面白い街ではある。正直な所、喧噪と街の汚さは正直好きではない。

 この街は本当に聖地なんだろうか?そういう疑問がふつふつと湧いてくる俗っぽいところだった。